メール合戦

 風呂上がりのほっと息をつくひととき。携帯を取ってベッドに腰掛ける。今日も一日の成果をあいつに送り付ける。すぐに返事がくる。
『だから、毎日毎日なんなのよ』
 こんな反応はいつものこと。俺はめげずにもう一度送る。一分もたたずにバイブが鳴る。
『いい? あんたのジョークつまんないわよ?』
 やっぱり優等生を笑わせるのは難しいのか。分厚い眼鏡を掛け直しながら黙々と勉強するあいつの姿が思い浮かぶ。俺は懲りずに、ストックしてあるネタから、最高傑作だと思うものを送った。期待しつつ返信メールを開く。
『ストレスたまるわ』
 ダメだったか。軽く落胆する。だけど俺は諦めない! 今日こそいつも澄ましてて生意気なあいつを、俺のセンスを最大限に稼動させて捻り出したジョークで笑わせてやるんだ! 両手を使って軽やかに打ち込む。返信を開く指も軽やかだった。……開く、までは。
『消え失せろ』
 心臓がとびはねた。いつにない口調に頭の中は真っ白になる。あいつが命令形を使うなんて滅多にない。しつこすぎたかもしれない。本気で怒ってるのかも。どうしよう、嫌われてたら……。
 だけど気持ちとは裏腹に、俺の指は勝手に文面をつくる。脳のブレーキが効かない。意地になっていたのかもしれない。俺のばか、おたんこなす! 火に油を注いでどうするんだ!
『じゃあお前のジョークで俺を笑わせてみろよ』
 送ってしまってから、目の前が真っ暗になった。衝動的に携帯をベッドに投げ捨て、顔を枕に埋める。返事を待つ時間が永遠に思える。こんなにあいつからのメールが恐いなんて。楽しかったこの数週間が脳裏に甦る。ああ、一生のお願いだ電波くん、いや電波様、ここまで来ないでくれ……!
 必死の願いも無慈悲な彼には聞き入れられず、微かに聞こえるバイブの鳴動によって永遠は終わりを告げた。身体がびくりと反応する。顔を上げて携帯に手を伸ばす。どうしよう、あいつに嫌われてたら。もうメールするななんて言われたら! 震える指でメールを開く。
『あたしが送ったメールの、初めの文字を繋げること』
 初めの文字? なんじゃそりゃ。首を傾げながらメールボックスを開く。ええと……、だ、い、す、き…………。
 脳みそがぶっとんだ。なんだって、だ、だだ、「だいすき」だって……? 「大豆すき」の省略形か? いや、あいつは大豆アレルギーだったはずだ。それなら「大ススキ」か……? それとも……。
 もはや思考回路なんて秩序は存在しなかった。汗と涙を間違えて分泌してしまいそうなくらい頭はパニックに陥っていた。いけない、落ち着け、自分。俺は振り絞ったあるだけの理性を指先にこめて、返事を送信した。
『最高のジョークだな』
 心臓の鼓動がうるさい。呼吸が荒れている。有り得ない。手に滲む汗で携帯が濡れる。こんなにあいつに撹乱させられるなんて……! 驚きと悔しさが入り混じる。
 それでも何事もなかったようにやっぱりあいつの返事ははやかった。そしてやっぱり澄ましてて生意気だ。
『でしょう?』
 画面に映った俺の顔は、泣き笑いの表情になっていた。