約束

 彼は決して約束を違いはしない。
 槍のように突き刺さる雨の日だって、立っていられないくらい風の吹く日だって、抱えているプロジェクトが炎上していたって、支店の自主研修があったって、ここで佇む私のことを定刻、白馬の王子様のように颯爽と登場して、手を引いてさらっていってくれた。
 だから今日だって、今日みたいに雲の向こうに轟音が響きわたる嵐の日だって、彼は迎えにきてくれるはずだ。
 定刻をとうに過ぎて、人の行き来は途絶え、まばらに立つ街灯の明かりと思い出したように通り過ぎる車のヘッドライト以外の何物も私の視界を照らしてはくれない時刻になっても、彼が約束を違えるだなんて可能性は脳内に一パーセントも残っていなかった。
 いよいよ雷鳴が近くなって、耳ごとちぎり取られるような破壊音の発したのがすぐ背後だったとしても、鼻につく焦げ付くような匂いが濃度を増してきたとしても、それでも私はここにいなければならない。女の悲鳴や、避難を促す怒号が仮に私に向けられたものだったとしても、私はそれに従うわけにはいかない。
 彼は決して約束を違いはしない。だから私もこの場所で彼の迎えを待っていなければならないのだ。

 彼女は決して約束を違いはしない。
 槍のような雨を可愛らしいピンクの傘で必死に受け止める彼女も、強風に暴れる髪やスカートを両手で制御する彼女も、上司に叱られていつもより弱々しい彼女も、どんな彼女も定刻この場所で、一日の何分の一かの時間を割いて僕のことを待ってくれていた。
 だから僕は、とうに息絶えた僕の身体を抜け出してでも、彼女のことを迎えにいってやらなければならない。
 雨に混じってどろどろになった僕の身体から流れ出る血の海の中で、慌てふためく運転手の姿をよそに、近づいてくる救急車のサイレンの音に送られながら、僕は身体を抜け出して彼女の待っている五階建てマンションの方へ向かった。
 雷鳴が僕に寄り添うように進路を変えるのは偶然か、それともこの世のものではなくなったがゆえに生じた特異な能力かなどはどうでもいいことで、ともかく僕が彼女を見下ろす位置まできたとき、ひときわ大きな轟きとともに雲の裂け目から一閃が放たれた。
 火の手から逃げまどう人々とは離れたところで、今にも炎の渦に絡め捕られてしまいそうな彼女は、やはり一日の何分の一かの時間を割いて、僕のことを待ってくれていた。
 お待たせ。やっと迎えにきたよ。