序章

 暗雲の垂れ込める空がいつもより数段と低く迫っている。
 私は窓辺に腰掛け、今にも雷鳴が轟きそうな暗くよどんだ景色をぼうっと眺めていた。
 ミシッ……と微かに床が軋む音がして、私は思わず廊下を振り返る。ぱたぱたと足音を立てて、磨りガラスの向こうを人影が通っていった。私はそっとため息をつく。彼女であるはずがない、と頭では理解していながら、人の気配を感じるたびに私の目線はドアの方へと吸い寄せられてしまう。もしかしたら彼女がお見舞いに来てくれたのではないか、と。
 ――愛していたんだろう?
 運命を変えたあの日以来、幾度となく繰り返してきた自問を、それでもなお私は繰り返す。繰り返さずにはいられない。
 ――愛していたさ。
 もう一人の私が答える。開け放した窓から吹き込む生温い風が私の頬を叩く。
 ――愛していたなら、なぜ……。
 うなだれる私の脳裏に彼女の笑顔がよぎる。記憶の中の彼女が私の名前を呼ぶ。あぁ、確かに彼女はそこにいたのに。一瞬の気の迷いのために、彼女は永遠に私の前から姿を消してしまった。そう、確かに愛していたさ。愛していた。それならばなおさらなぜ、私はあのとき……。
 ――なぜ……。
 答えが出ることのない問いを、それでもなお私は繰り返し続ける。