水晶は嵐とともに

「グロリアってどこにあるの?」
 それがルームメイトの第一声だった。
 一足先に寮に到着して自室で楽器の手入れをしていたエリンは、目をぱちくりさせつつもしばらく反応することができなかった。玄関の暗がりの中、翡翠色の瞳がじいっと見つめていることだけがわかった。
 もともと人付き合いが得意な方ではない。初対面の挨拶をするだけでも一苦労なのに、挨拶をすっ飛ばした言葉を浴びればなおさらだ。手に持った楽器にじんわりと汗が染みる。
 返答に窮していたら、追撃がやってきた。
「グロリアから来たんでしょ? どんなところなの? あったかい?」
 容赦ない質問攻め、しかし濁り気のない翡翠色の瞳から読み取れるのは単なる好奇心だった。次第に落ち着きを取り戻してきたエリンは楽器から手を離し、代わりにハンカチを握りしめた。アリッサ・メイト。部屋割りが発表されたときに、確かそんな名前が自分の隣に記されていたような気がする。
「割と……あったかいかな。今のリトワールと同じような気温が年中続くの」
 なぜ自分の出身国を知っているのか、という質問は心にしまっておく。おおかた教師に聞いたか、噂を耳にしたかのどちらかだろう。
「そうか。それはいいな」
 アリッサは目を輝かせた。玄関で立ち止まっていた彼女はようやく部屋の中に入ってきて、両手に抱えたたくさんの荷物をどさりと下ろした。
「あー重かった! 疲れた。寮までずいぶん遠いんだな、ここ」
「すごい荷物ね」
 床に置かれた拍子に大小さまざまの荷物入れが散らばって、二人用の部屋の床部分をほとんど占拠した。最寄りの駅から手ぶらで歩いてきたエリンでさえも、山道を通り抜けてこの寮に着いた頃には軽く息切れし、額に汗がにじんでいたぐらいだ。これだけの荷物を持ってあの距離を歩くことなど想像したくもない。目の前の少女はそれを疲れた、の一言で済ましただけで別段疲れている様子は見せない。一体どれだけの体力の持ち主なのだろうか。平然と荷物の整理に取り掛かった少女をエリンはまじまじと見つめた。
「――って収納スペースこれだけ? 入りきらないだろ。君はどうしたんだ?」
「私は……何も持ってこなかったから」
 エリンは肩をすくめた。ここリトワール国立学院への入学が決まったときから持ち物の準備は何もしてこなかった。というより、貧しい部類に入る彼女の生家からは持ってこられるものがなかった、と言った方が正しい。生活に必要なものは全て支給されると知らされていたから、それで困ることはないとも考えていた。
「私のとこも使っていいわよ」
「そうか。すまない」
 粗野な言葉使いで礼を述べると、アリッサは早速エリンのクローゼットを開けて残りの荷物を詰め込んだ。最後の一つを無理やりぎゅうと押しこめて扉を閉じると、ふう、と息をついてエリンを振り返った。
「思い出の品とか捨てられないタチでさ」
「――そうなの」
「出かけてもいつも荷物多いって言われる」
「そりゃそうよ」
「あ、そうだ」
 アリッサは再びエリンのクローゼットを開いた。途端に荷物の山がなだれ落ちてくる。うわっ、と短い悲鳴を上げながらもアリッサはその中をごそごそと探る。しばらく探った後に荷物の山から取り出した手には、何やら透明な球形の物体が握られていた。
「おみやげ」
「あら――ありがとう。でも、何かしら? これ」
 差し出された球体を受け取る。想像していた重さよりもずっと重く、エリンは危うく落とすところだった。手のひらにちょうど納まる大きさのそれは吸い込まれそうなほど透き通っていて、窓から差し込む光を柔らかに反射していた。
「水晶。うちの国の特産品だ」
「水晶? そういえば、国って……」
「あぁ、言ってなかったか。私はセザンから来たんだ。ついでに名前はアリッサ・メイト。よろしく」
「セザン……」
 リトワールの永久同盟国にして小国ながら世界最強の兵士たちを抱える軍国。エリンは教科書で習った知識を思い返した。リトワールの南に隣接していて、特産品は確かに鉱石類と習った気がする。が、まさか水晶をそのままお土産として持ってくるとは思っていなかった。
 少女らしからぬ言葉使いといい、不思議な人――。
 自分の世界に思いを馳せていたエリンがはっと我に返ると、いつの間にか目の前に手が差し出されていた。視線を上げると、アリッサが真顔でエリンを見つめている。エリンは差し出された手をしっかりと握り返した。
「エリン・コットウェイです。ルームメイトとして、これから四年間よろしくね」
「あぁ」
 視線が再び交わる。エリンははにかみながら、アリッサは屈託のない笑顔で。
 こうして異国から来た二人は出会った。リトワール国立学院という名誉ある学院の精鋭として、また四年間生活を共にするルームメイトとして、そして一人の友人として。
 高く昇った太陽の光を受けて、水晶がきらりと輝いた。

 ――廻り始めた運命の行き先を、未だ誰も知らない。