終章「繰り返される物語」

 突き抜けるような青空が見下ろすのは、一面の焦土だった。
 といっても、焼けているわけではない。言うなれば、魔力の焦土だ。トロイラという国を作り出していた強大な魔力はその支えとなる意志の力を失って、崩れるように流れ落ちた。そして、地上の姿をたちまちのうちに変えてしまった。
 鬱蒼と茂っていた木々はまるで陽光に溶かされてしまったかのように、一本残らず姿を消してしまっている。ここには初めから森など存在していなかった、とでもいうかのように。大地を覆うのは微風にそよそよと揺れる、名もなき草だけだった。
 空に架かった白い雲は無関心を貫いて、ただ風に吹かれるままに悠然とたゆたっていた。
 空と、雲と、草と地。見渡す限りそればかりの風景の片隅に、廃墟というよりも残骸と表現した方がふさわしい、白い石の積みあがった一角があった。白の塔、長きにわたってこの地を支配し続けてきた者の居所、その成れの果てだった。
 本来は壁だったのだろう、今となっては巨大な石碑にしか見えない白い石板が一枚、傾きながらもしっかりと大地を突き刺して、かろうじて自己の存在を固持しようとしている。傍らにはやはり傾きながらもそそり立とうとしている、汚れなき白い柱。そしてその近辺に取り巻きのように散らばっているのは、かつて靴音を厳かに響かせた床板の破片。
 それがすべてだった。失った未来を取り戻すために運命すらねじ変えようとした者が残したのは、絵画のように鮮やかな、終末。その絵画を描き出した張本人であるディルケスは、白銀の光をたたえた髪をなびかせながら、壁に寄り添うように佇んでいた。
「イアトス……」
 虚ろな瞳はどこにも焦点を合わせることなく、透き通った空中をぼんやりと漂っている。ぽつりと呟いた息子の名は、何の意味もなさないまま風にさらわれて消えた。
「ミュゼ……」
 どうして、と続ける力もなかった。もっといえば、何かを考えるだけの余力もなかった。空っぽになった心とともに吹きさらしのこの場所に立ち続けていれば、いつかこの身体は朽ち果ててくれるだろうか。願いと希望の象徴であった白の塔が、無惨な姿に変わり果てたように。だが、それが叶わぬ夢であることは、ディルケスが一番よくわかっていた。愛する息子とともに時を渡り歩くことを決めたあの日、自己の身体に不老不死の術をかけたのは他ならぬ彼自身だったのだから。
 もう、何もない。何もないという事実だけが確かにあった。守るべきものも、すがりつく未来も、何者かが放ったたった一本の矢が、すべてを白紙へと変えてしまった。その何者かが一体誰だったのかをあばく暇さえも与えずに。
 痛いほどに望んだ白は、こんな色をしていたのだろうか。
 ひゅるひゅると壁と柱の隙間を駆け抜けていく風の足音ばかりが耳朶を撫でる。ディルケスはふと、その中に別の音をとらえた。ざっ、と濁ったその音は、無意識のうちにかすかな希望の炎を灯した。
 音のした方を振り返る。虚ろだったディルケスの瞳は見開き、急速に光を取り戻した。半開きになった唇が震える。幻を見ているのではないかと、後ずさりたい衝動にすら駆られる。
「父さん」
「イアトス……!」
 だが目の前に立つ人物、愛する息子の姿形をした人物は確かに言葉を紡ぎ出した。幻ではない、現実なのだ。言いたいこと、伝えなければならないことが競うように喉の奥からせり上がってきて、ディルケスは口をもごもごとさせるばかりでそれ以上何も続けられなかった。
 イアトスは足を一歩前に踏み出す。それにつられるように、ディルケスも歩み寄った。手を伸ばせば届く距離で、二人は対峙した。
 言葉を紡げぬ唇の代わりに、ディルケスは腕を伸ばした。白の長衣の袖からすらりと這い出た細い腕は、しかしイアトスの頬へたどり着くことはなかった。伸びてきた手首をイアトスが優しく掴んで、そっと胸の位置まで下ろす。ディルケスははっとしたようにイアトスを見た。
 その表情には、強い覚悟が宿っていた。
「父さん、お願いがあるんだ」
 凍り付くように冷たい、淡々とした声だった。それだけで、ディルケスは何もかもを悟った。
「もう一度、会いたいひとがいるんです」
 ひときわ強い風が、二人の間をさあ、と吹き抜けていった。
 それは、長い長い眠りの再来――。

 過ちは、繰り返される。
 塗り替えた運命が望んだとおりの白を染め上げるまで、何度でも、何度でも繰り返し続けるのだ――。