幕間 ディルケス

 ひたすらに白い、空間であった。
 床も壁もすべてが表情のない白に覆われたその建物は、見上げれば空を裂かんばかりに高く、円錐状の天井の四方に取り付けられた窓から漏れ入る陽光が交差して、空気すらをも白く染め上げている。
 ちょっとした神事でも執り行えるほどの広い空間にはしかし、配置物の類は一切存在せず、交差する光の真下にある少し高くなった一角で、一人の男がたたずんでいた。
 男のたたずまいもまた同様であった。腰ほどまで伸びきった髪は、生まれつきか、それとも加齢のためか、蜘蛛の吐く糸をより集めたかのように、白銀の光をたたえている。華奢な身体にしっとりと纏った白い衣の裾を少したりとも揺らすことなく、男はそのうつろな視線を、ただの一点だけに向けていた。
「イアトス……」
 男の視線の先には、硝子細工の長方形の箱があった。その箱の中に横たわる若き青年の名を、男は慈しみとも、憐れみともつかない音色で呼んだ。しかし青年は瞼をきつく閉ざしたまま、胸の上で両手を組んだ姿勢を崩すことはなかった。
 男は目を細めた。若かりし頃は精悍な顔つきをしていたのだろう、と思わせる面影を残しながらも、やつれた目元には深く皺が刻まれている。砂がこぼれ落ちるような微かな衣擦れの音を立てながら、男は青年の頬にそっと右手を触れた。がらんどうの白い空間に包まれて、まるで秘めたる儀式であるかのような、それはあでやかな光景であった。
 不意に、扉を叩く音が響いた。男はその無粋な音を意にも介さない様子で、振り返ることなくただ目の前の青年だけに視線を滑らせる。入り口から入ってきたのは祭司の正装をした男だった。この空間と完全な調和がとれた、白。祭司はしずしずと男へ歩み寄り、わずかたりとも空気を濁してはならぬと言わんばかりに丁重にひざまずいた。
「ディルケス様」
 うやうやしく名を呼ばれて、ようやく男は意識をそちらへ向けた。緩慢な所作で振り返り、右手を青年から離す。しばしの沈黙が、祭司に先を促した。
「件の少女が見つかりました」
「……ミュゼが……!」
 それまで何も映すことができないほど曇っていた男の瞳に、光が宿った。うっすらと開いた唇から、不規則な吐息が漏れる。震える身体を自分の両手で抱きしめて、青年の方へ視線をやる。
 祭司はそんな男の姿を感情の宿らぬ瞳でとらえながら、先を続けた。
「見つけたのは残念ながらエレンシュラ軍でした。ただ、同じ術空間を介しておりますゆえ、追跡は可能かと存じます」
「かまわぬ。どんな手段を使ってでもよい。必ずしやミュゼをこの場へ呼び戻すのだ」
 淡々と義務的な口調で告げる祭司に、男はそのしなやかなたたずまいからは想像もつかないような強い声色を浴びせかけた。
 祭司は音もなく立ち上がった。
「御意のままに」
 一礼すると、祭司は身を翻して去っていった。扉が閉まり、静寂が再び白の空間に満ちる。男は焦点の合わない視線をあちこちへ散らしながら、激しく鼓動する心臓にあらがえないでいた。ときには上体をかがめ、ときには両腕を前につきだし、ときには祈るようにうつむき、意味をもたない動きを繰り返す姿はまるで、永遠の演舞を科せられた踊り子のようであった。
 そして震える唇から絶えず紡がれるのは、痛みを伴う、途方もない祈りであった。
「あぁ、ミュゼよ……どうか息子を、わたしの息子を、もう一度わたしの元へ……」